夕方になると、窓から差し込む光がすこしずつ傾いてきて、
部屋の奥の空気までやわらかくなるように思う。
冷蔵庫の中をのぞいて、
すこし考えてから、
今日は簡単に、炒めものをつくることにした。
小松菜と人参、それからピーマンとしめじを取り出して、
冷凍しておいた油揚げと一緒に使うことにする。
小さめのフライパンにごま油を敷いて、
人参は細く切り、油揚げは湯通ししてから短冊に。
しめじは石づきを落としてほぐし、
ピーマンと小松菜は最後に加える。
炒めているあいだ、
炊飯器の湯気がふわりと立ちのぼる。
もうすぐごはんも炊きあがる頃だった。
味付けは少しだけ薄めに。
塩と醤油、それから少しの出汁。
具材がくたっとなりすぎないように、
火加減と時間を少しずつ調整していく。
味噌汁もつくることにした。
鍋に出汁を入れて温め、
豆腐と乾燥わかめを加える。
冷蔵庫の隅に残っていた大根の葉を刻んで、彩りに添えた。
器を並べる。
ごはんと味噌汁、炒めものを小鉢に。
食卓の上はささやかだけれど、
湯気があるだけで空気が変わる気がした。
箸をとって、
まずは味噌汁から。
体の芯にゆっくりと熱が伝わっていく感じがした。
炒めものの野菜は、どれも歯ざわりがちょうどよくて、
油揚げの風味が全体をやわらかくまとめていた。
炊きたてのごはんは、ほんのり甘く、
何も添えなくても、
それだけで満足できるような味があった。
音のない食卓だった。
けれど、不思議と寂しさはなく、
そのまま静かに進んでいく時間が心地よかった。
食べ終えたあと、
湯呑みにあたたかいお茶を注ぐ。
それをゆっくり飲みながら、
台所に立って食器を洗う。
お湯の温度と、陶器の手触り。
どちらも少しだけ熱を残していて、
その感触が気持ちを落ち着けてくれた。
洗い終わってふきんで拭き終えると、
湯気はもうほとんど残っていなかった。
浴室の灯りをつける。
湯気に包まれながら、
そっと湯に身を沈める。
肩まで湯に浸かった瞬間、
ようやく今日の輪郭がふわっとほどけたような気がした。
何も考えずに目を閉じていると、
湯の音と呼吸の音だけが残っていた。
風呂上がりにタオルで髪と体を拭いて、
洗面台の前に立つ。
ドライヤーを手に取り、
スイッチを入れると、
静かに風が出始めた。
それは「風が吹く音」ではなく、
部屋の空気がやわらかく動くような感覚だった。
音が静かであることが、
思っていたよりもずっと、
気持ちに作用するものなんだと、
そんなふうに思った。
乾かす手の動きは、特別なものではなかったけれど、
その時間に余計なものが入り込まないのは、
きっと音が控えめだからだ。
髪が乾き、風が止む。
熱を帯びた髪を手で軽く整えて、
ドライヤーをそっと棚に戻す。
照明を落とすと、
洗面台の鏡がぼんやりと室内の光を映していた。
部屋に戻ると、
外はもうすっかり夜の色に変わっていて、
カーテンのすき間から漏れる光が、
床の上にすこしだけ伸びていた。
お茶の残りを飲み干して、
カップを静かに棚に戻す。
あとは、何もせずに、
椅子に腰をおろしたまま、
しばらくじっとしていた。
何も起きなかった日、
特別なことがなかった日。
そんな夜に、
ちゃんと静かに終わっていく時間があるというのは、
それだけで大事なもののように感じられた。
音が静かだったというだけで、
今日がすこしやさしく終われた気がした。
▼しずかな時間に馴染むもの▼
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