窓のカーテンを少しだけ開けて、
西の光が斜めに差し込むのをそのままにしていた。
まだ照明をつけるほどではないけれど、
部屋の中の明るさは、静かに変わりはじめている。
今日はいつもより少し早く帰ってきた。
まだ一日の終わりという感じではなくて、
それでも、少しだけ緩やかに時間が流れているようだった。
冷蔵庫にはちょうどいいくらいの食材が残っていた。
人参とピーマンを細く切って、卵と一緒に炒める。
香りが立ってきたところで少しだけ出汁を加えると、
そのまろやかさが全体をまとめてくれる。
もうひと品、と思って、
かぼちゃを軽く解凍して鍋に入れ、
塩と醤油をほんの少し。
やわらかく煮えた頃には、
部屋の空気にもどこか甘さが混ざっていた。
朝に炊いたごはんは、器に軽く盛り直して電子レンジで温める。
湯気がふわりと上がるのを眺めながら、
その横でケトルに水を入れて火にかける。
ごはんが仕上がるのと同じ頃、
お湯も静かに沸いた。
ティーポットに湯を移し、
香ばしいお茶をそっと淹れる。
トレーに茶碗と味噌汁、炒め物と煮物を並べて、席に着く。
どの器も特別なものではないけれど、
形や質感の違いが並んだとき、
どこか落ち着くような雰囲気になっていた。
箸を手に取り、炒めた野菜をひと口。
卵のやわらかさに混じる野菜の歯ごたえが心地よく、
噛むたびに味がゆっくりと広がっていく。
味噌汁をすすると、出汁の香りが広がる。
それだけで少し肩の力が抜けるような気がして、
やっぱり温かいものはありがたいと思う。
食器を片付けたあとは、クロスでひとつずつ水気を拭き、
何も置いていないテーブルの上に、本を一冊置いた。
今日は、ページを開くことだけが目的だった。
何かを学ぶためでもなく、
ただ、紙に印刷された言葉を目で追っていく時間がほしかった。
先ほど淹れておいたお茶をカップに注ぎ、
湯気の立つその香りをひと呼吸、受けとめる。
強すぎないその香りは、読む前の空気を整えるようで、
少しだけ背筋が伸びた。
文章の流れに身を任せるように読み進める。
ページをめくるたびに、
言葉の選び方や行間の静けさに気持ちが寄っていく。
集中しているのに、どこか力が抜けているような感覚だった。
しばらくして、部屋の明るさが少しだけ変わったのに気づく。
窓の外にある建物の輪郭が、さっきよりはっきりしている。
手の届く場所に置いてある小さなランプにそっと触れ、
やわらかい灯りをつける。
強くないその光は、テーブルの片側だけを静かに照らして、
ページの白さがそこに浮かんでいるように見えた。
カップに口を近づけると、
ほんのりと温かさが残っていた。
ちょうどいい温度で、
香りと一緒に喉を通っていくその感覚が心地よかった。
気づけば何ページも進んでいたけれど、
時間が経ったというよりは、
その空間に長くとどまっていたような気がする。
本を閉じると、
椅子に深く体をあずけて、しばらくのあいだ何もせずにいた。
頭に残った文章が、部屋の静けさの中にほどけていく。
ランプの灯りはそのまま。
もう一杯、お茶を淹れようかどうか考えるけれど、
今日はこのまま終わるほうがいい気がした。
特別な出来事はなかったけれど、
本とお茶と、この灯りだけで、
今日は十分だったと、そう思えた。
ページの音が、やわらかく響く。
部屋にはほとんど音がない。
外から届く風の動きが、カーテンの端を少しだけ揺らしている。
光は強くなく、
ぼんやりと、机の上にだけ落ちている。
手元には、閉じかけの本と、
温かさの残るカップ。
何かをしようとしていたわけでもないのに、
こうして静かに座っていると、
自然と手が伸びていた。
言葉があるだけの時間
本のなかにある言葉を、
一文字ずつ追っている。
ページをめくるたびに、
紙の感触が手の中でやわらかく返ってくる。
文章の先を急ぐこともなく、
ふと止まり、また読みはじめる。
少し経って、
気づけば風は、ゆるやかに流れを変えていた。
光の加減も、どこかで静かに移っていたのか、
ページの白が、午前中よりも落ち着いた色に見える。
カップに手を伸ばすと、
もう湯気は立っていなかった。
読んでいるあいだ、
自分のまわりが少しずつゆるんでいたことに、
あとになって気づく。
ふと視線を上げたとき、
カップの中に映る影のかたちが、さっきとは違っていた。
でも、その違いが何かはわからない。
ただ、そのまま、しばらく眺めていた。
窓の向こうの空は、
いつのまにか色を変えていた。
しばらくして、それに気づいた。
空が、思っていたよりも、ずっと澄んでいた。
それを見ていた時間だけが、
その日の中で、ゆっくりと残っている気がした。
▼しずかな時間に馴染むもの▼


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