やわらかな風と午後の光の中で

昼を少し過ぎたころ、部屋の中に風が通った。
大きく窓を開けたわけではなかったのに、
どこか遠くの空気が、ゆっくりと移動してきたような、
そんな静かな動きだった。

こういう日は、なにか特別なことをしようとは思わない。
むしろ、日常の輪郭がくっきりとしていくような、
そのままを大事にしたくなる。

朝のうちに簡単に掃除を済ませていたので、
午後はのんびりと昼食をつくることにした。

冷蔵庫の中をのぞくと、卵と牛乳、
それからベーコンと、昨日買ったズッキーニが目についた。
買い置きのトマトもいくつかあって、
そのままでも十分だけど、焼いたら甘くなりそうだった。

フライパンを弱火にかけ、バターをひとかけら落とす。
じんわりと香りが立ち上るのを待ってから、
刻んだベーコンとズッキーニを加えた。
油を吸ったズッキーニが透き通ってきたところで、
塩ひとつまみ。

その間に卵を割り、ミルクを少し。
混ぜた卵液を流し込み、ゆっくりと火を通す。
全体が半熟になったら、フライパンを傾けて、折りたたむ。

ベーコンとチーズの香りが混ざって、
小さな台所がふわっと明るくなったような気がした。

トースターには薄めのパンを2枚。
焼き色がついたところに、バターをすっと塗る。
表面にじんわりと油がにじむと、それだけで十分だった。

トマトは切らずに、丸ごとホイルに包んで
オーブンで少しだけ加熱した。
皮が軽く割れて、香りが立つくらい。

器に盛りつけ、窓の近くのテーブルに運ぶ。

午後の光が差し込むその場所は、
閉じたままのカーテン越しに、ほんのりと明るさがにじんでいた。
生地はしっかりしていて厚みがあるけれど、
それでも日の角度が変わる時間になると、
どこか柔らかく、淡く、部屋の色合いも変わって見える。
風がそっと動くと、その布が静かに揺れた。

パンをひと口かじり、続けてオムレツ。
ベーコンの旨味と卵のやわらかさが、舌の上で溶けていく。
ズッキーニの歯ざわりがリズムをつけて、
静かな昼食に小さな心地よさを添えてくれる。

ホイルを開いたトマトは、
少し湯気を立てながら、香りだけでももう美味しそうだった。
フォークで崩すと、甘い果汁がじゅわっと広がり、
ほんの少しの塩とオリーブオイルで、じゅうぶんな味になった。

飲み物は、あたたかい紅茶。
レモンは切らず、香りだけのティーバッグ。
食後にひと口飲むと、
それまでゆるやかだった時間が、さらに静かに深くなっていった。

何もしていないのに、何かを終えたような感覚があるのは、
満たされたというより、整ったという方が近いのかもしれない。

カーテンがもう一度だけ揺れた。
その揺れに気づいたとき、外の空気は
少しだけ午後の色に変わっていた。

洗い物をして、机の上を拭いたあと、
もう一度、椅子に戻って座った。
風の音も光の具合も、そのときには変わっていて、
今しかない時間のなかにいることを、すこしだけ実感した。

この午後が特別なわけではない。
でも、日々のなかで何かを思い出すとしたら、
こういう時間が、静かに浮かんでくる気がする。

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