しらすと豆腐と、静かな夕方

夕方、台所の窓から差し込む光が、
少しだけやわらかくなっていた。
カーテンも揺れず、部屋の空気は穏やかで、
その時間を静かに受け入れていた。

昼に炊いたご飯の残りを温める。
湯気がふわっと立ち上がり、
茶碗に移すと、手のひらにほのかな温かさが伝わってくる。
昼に炊いたものだったが、粒の立ち方がほどよく、
温め直してもふっくらとした感じが残っていた。

鍋に残っていた味噌汁も温め直す。
豆腐とわかめ、少しのねぎ。
冷蔵庫にあったもので整えたはずなのに、
食卓に並べると、不思議とよく馴染んで見えた。

もう一品、小さな器に冷やしておいた豆腐をそっと移す。
その上に、しらすと細かく刻んだ大葉、ごまをのせて、
しょうゆを少し垂らす。
使ったのは、手にしっくりなじむ白い器。
飾り気はないけれど、いつのまにかよく使っている。

戸棚から箸置きを選ぶとき、
いつもより少しだけ迷った。
今日は、丸くて小さな磁器のもの。
つやのない質感が、今の気分に合っているように思えた。

食卓には、ご飯、味噌汁、しらすをのせた豆腐。
そして小皿に浅漬けを少し。
布の敷きものの上に箸を並べ、
その間に湯呑みと急須も置いた。

準備を終えて席に着いたとき、
部屋の明かりはまだつけていなかった。
窓からの光だけで、器の輪郭がほんのりと浮かび、
そのやわらかさが、静けさにしっくりと重なっていた。

まずは味噌汁をひと口。
豆腐のやわらかさ、わかめの香り、
ねぎの風味が口の中でやさしく広がる。
それからご飯を少し。
続けて、しらす豆腐をすくって口に運ぶ。
冷たくてなめらかな豆腐に、しらすの塩気がふわっと混ざり、
そこに大葉の香りが重なる。

器を置くと、箸先からすっと緊張が抜けていく。
ひと口ごとに、気持ちが落ち着いていく感覚があった。
浅漬けの歯ざわりもまた、
この食卓の中ではちょうどよかった。

途中でお茶を淹れる。
ほうじ茶の香ばしい香りが湯気にのって漂い、
部屋の空気が少しやわらかくなる。
湯呑みに口をつけると、
温度と香りが一緒に喉の奥まで届いて、
その流れに、少し深呼吸するような気持ちになった。

豆腐は、時間がたっても冷たさを保ち、
のせたしらすも少しずつ水分を含んでしっとりしていた。
その変化を感じながら、ご飯の残りを味わう。
どれも強い味ではないけれど、
少しずつ、舌の上で輪郭を整えていくようだった。

最後に、味噌汁の残りをすすって、
茶碗の底のねぎを箸ですくう。
それを口に入れると、食事の終わりがすとんと収まったような気がした。

食べ終えたあと、お茶を少し足す。
湯呑みのぬるさに指先をそっと添えると、
今の時間がじんわりと手の中に残っているようだった。

皿を下げる前に、ふと手が止まる。
白い器の表面にうっすら水滴が残っていて、
そこに照明をつける前の夕方の光が静かに当たっていた。
使い込んだ器なのに、
一瞬だけ、なにか新しいもののように見えた。

洗い物を済ませ、急須を拭いて台所に戻す。
湯気の香りだけが、かすかに残っていた。

窓の外を見ると、空の色はゆっくりと薄くなり、
街の明かりがぽつぽつと灯りはじめていた。
あえて明かりをつけないまま、
その薄明かりの中に少しだけとどまっていた。

何も特別なものはなかったけれど、
食卓に座っていた時間そのものが、
一日の中でいちばん静かで、満たされた時間だったように思う。

こういう夕方を、また明日も迎えられたらいい。
そのために、今日をきちんと終えようと思った。

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