前の日は少し早めに寝たせいか、朝の目覚めがやけにすっきりしていた。
初夏の朝らしく、窓の向こうはすでに陽の光がしっかりと届いていて、カーテンのすき間から差し込む光がやわらかかった。
少しだけ暑さを感じる空気を確かめながら、ゆっくりと布団から起き上がる。
キッチンでお湯を沸かしながら、ご飯をよそって味噌汁を温める。
おかずは昨晩の残りのひじき煮に、さっと焼いた卵焼きを添えただけ。
冷蔵庫にあったきゅうりと梅干しで即席の浅漬けも作って、静かな朝の食卓が整う。
冷たい麦茶をコップに注いで、いつもより少しだけゆっくりと席につく。
朝のごはんは、食べるというより落ち着くための時間みたいな気がしている。
ひと口ひと口、噛むたびに体が目覚めていく感じがして、黙々と箸を動かした。
ただ部屋に差し込む光と、食器の音が小さく響く。
食べ終えて、食器を洗って水気をふき取りながら、今日は予定がないことを思い出す。
どこかに行きたいという気持ちもないし、誰かに連絡を取る必要もない。
そういう日が、いちばん好きかもしれない。
何もしないつもりで、何もしないでいるということに、少しだけ安心する。
湯をもう一度沸かして、白いカップにほうじ茶を注ぐ。
窓を少しだけ開けて、風が入ってくるのを待つ。
初夏の空気はすでに少し湿り気を含んでいて、でもまだ重たくはない。
外からは鳥の声と、少し遠くの踏切の音が聞こえる。
棚から文庫本を一冊取り出して、革のカバーがかかっているのを撫でるように確認する。
しばらく前に読んでいたもので、物語の途中にしおりがはさまったままだった。
本そのものというより、その本を読む時間が好きで、なんとなく開く。
読むというより、手に取るという行為のほうが中心になっている気がする。
窓のそばの椅子に腰掛けて、カップを片手にページをめくる。
とくに物語に入り込むわけでもなく、なんとなく目で追いながら、外の風の気配に耳をすませる。
革のカバーがあると、本が少しだけ厚みを持って感じられて、その手触りがなんとも心地いい。
めくる動作が少しゆっくりになるのも、このカバーのせいかもしれない。
読みながらふと手を止めて、カップを置いて、また風に目を向ける。
揺れるカーテンの先に、小さな雲がひとつだけ浮かんでいるのが見えた。
時間がとてもゆっくりと流れているように感じて、深く息を吐いた。
しばらくページをめくっていたが、文字を追うことに集中していたわけではなかった。
視界の端で揺れる光や風に意識が向いては戻り、少しずつ心の中が静かになっていくような感覚があった。
読み進めるというより、文庫本を手にして座っているという、その姿勢そのものが心地よかった。
そういえば、このカバーを選んだときのことを思い出した。
何色にしようかと悩んで、結局、いちばん落ち着いた色を選んだ。
手触りと、使い続けて少し柔らかくなった革の質感が、今の気分にちょうどよくて、選んだ自分を少しだけほめたくなる。
道具は使い続けるうちに、少しずつその人の時間に馴染んでいく。
文庫本のカバーもそのひとつで、読む内容や頻度に関係なく、そこにあるだけで落ち着く存在になっている。
今日もまた、特別なことは何もないけれど、その静かな満足感が一番贅沢だと思う。
本を閉じて、膝の上に置いたまま、もう一度ほうじ茶を口にする。
ぬるくなったお茶が、不思議と今の空気に合っていた。
風が少しだけ強くなって、カーテンがふわりと揺れた。
小さな音と、小さな動きに囲まれながら、静かな午前中が続いていく。
文庫本のカバーをつけたまま、本棚に戻すときも少しだけ丁寧になる。
少し色あせてきた背表紙が、棚の中で浮きすぎないように、隣の本との並びを整える。
そういう何気ない動作にも、きちんとした時間が宿るような気がしてくる。
午後になればまた、違う空気が部屋に入り込んでくるだろう。
けれど、この短い読書の時間が、今日の静けさの中心になっていた。
ただページをめくるだけのひとときが、思った以上に深く心に残る。
文庫本のカバーがあることで、ほんの少しだけ「読む」という行為に厚みが生まれる。
それがあるからこそ、本を開く時間が自然と丁寧になっていくのかもしれない。
▼しずかな時間に馴染むもの▼

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