風が通るだけで、暮らしは変わる

朝起きて、窓を開けると、すでに少しむっとする空気が流れ込んできた。
7月も半ばに差しかかって、湿度の高さが少しずつ身体にまとわりついてくる。
そんな日は、まずサーキュレーターのスイッチを入れることから始まる。

扇風機とはまた違って、風が直線的に部屋を抜けていくのが心地いい。
首を振らずに、一方向に送られる風は、窓から入ってきた空気をうまく循環させてくれる。
特別なことはしていないのに、部屋の空気が少し入れ替わったような気がする。

キッチンでお湯を沸かしながら、朝ごはんの準備をする。
今日はトーストとスクランブルエッグ、それからサラダとヨーグルト。
手早く用意したら、サーキュレーターの風が届く場所にテーブルを少しだけずらして、ゆっくりと朝食をとる。
窓からの風とサーキュレーターの風が混ざり合って、心地いい空気が流れていく。

朝食を終えたあと、コーヒーを淹れて、食卓に座り直す。
今日は特に予定もなく、どこかへ出かける気力もない。
本を読むほどの集中力もなくて、ぼんやりと風の流れを感じながら、少しだけ静かな時間を味わっていた。

サーキュレーターの風は、強すぎず、音も静かで、存在を主張しすぎないのがいい。
その場にあるだけで、空気の流れを整えてくれる感じがする。
真夏のように涼を求めて使うというよりは、今の時期は、なんとなく部屋の居心地をよくするための道具という位置づけだ。

昼前になって、少し片づけをしてから洗濯物を干す。
干し終えたあとの部屋に戻って、またスイッチを入れると、部屋に風が通る。
空気が動くと、気分まで少し軽くなるような気がする。

午後になって、冷たい麦茶をコップに注ぎ、また同じ椅子に座る。
サーキュレーターの音は相変わらず静かで、耳に残ることもない。
ただ、身体に当たる風が、確かにこの空間を快適にしてくれていることはわかる。

夕方になると、空気が少しだけ軽くなってきた。
陽が傾いてくると、部屋の中にも長い影が落ちてきて、少しずつ夜の準備が始まる。
そんなときも、サーキュレーターは変わらず静かに回っている。
涼しさをつくるというより、空気がこもらないように助けてくれるような存在。
夕飯の支度をしているときも、台所の熱気をやわらげてくれて、ふとしたときにそのありがたさに気づく。

夜、風呂上がりにまだ身体に熱がこもっているような感覚のとき、サーキュレーターを近くに置いて椅子に腰をかける。
扇風機ほど直接的ではないけれど、やさしく当たる風が心地いい。
冷房に頼りきらずに過ごせる日も、こうした道具があるからこそなのかもしれない。

このサーキュレーターを選んだとき、特別な理由があったわけではなかった。
よくある白くて小さなかたちで、デザインに大きな特徴があるわけでもない。
でも、最初に使ったときから、風の感じや音の静かさに、「これなら合いそうだ」と思った。
それからずっと、リビングの片隅に置いて、静かに働いてくれている。

夏が過ぎれば、今度は室内干しの洗濯物を乾かすのに使ったり、暖房の空気を循環させるために動かしたり、季節によって役割が変わっていく。
「しまうタイミングがないまま、ずっと出しっぱなしになる道具」のひとつかもしれない。
でもそれくらい、日常にとけこんでくれているということだと思う。

音を立てず、目立つこともなく、でも確かに役に立ってくれている道具。
サーキュレーターには、そういうささやかな信頼感がある。
何かが変わるわけじゃないけれど、この道具があるだけで、暮らしが少しだけ整う。
そんなふうに感じられる存在が、そばにあるのはうれしいことだ。

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空気をやさしく循環させ、部屋全体を心地よく保ってくれるサーキュレーター。
静かな音と控えめな存在感が、日常に自然と溶け込みます。

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