午後の光には、なんとなく落ち着いた空気がある。
少し前までの時間とは違って、
日差しがやわらかく、空気の流れも静かに感じられる。
この時間に何かをするでもなく、
ただ過ごせるようになったことが、最近になってようやく心地よく思えるようになってきた。
今日は、昼ごはんを少し丁寧につくってみたくなった。
冷蔵庫をのぞくと、使いかけのキャベツ、玉ねぎ、にんじん、ピーマン、しめじが少しずつ残っていた。
どれも少しずつだけれど、全部使えば、立派なスープができそうだった。
小ぶりの片手鍋をごま油で温めて、野菜をゆっくり炒める。
玉ねぎが透明になって、しめじの香りが立ちのぼってきたころ、
水と鶏がらスープの素を加えて、蓋をして弱火で煮る。
仕上げに少しだけ醤油と塩を足して、味を整えた。
特別なことはしていないけれど、なんとなく気持ちが穏やかになる時間だった。
スープができあがる頃には、野菜の甘みが鍋の中にとけ込んでいた。
キャベツはやわらかく、にんじんはほどよく煮えて、
色のコントラストもきれいだった。
煮ている間に、昨日買っておいた小さめのバゲットをトースターで温めた。
表面がかりっとなって、香ばしい匂いが部屋に広がった頃、スープの火を止めた。
深さのあるスープカップに、あたたかいスープをたっぷりとよそう。
具材のかさが多くて、見た目にも満足感がある。
そのままでも良かったけれど、今日は木のレンゲを使うことにした。
少し大ぶりで、口あたりのやさしいスプーン。
木の道具は不思議と手に馴染んで、
ゆっくり食べる時間とよく合うように感じられる。
レンゲですくったスープには、キャベツの葉がふわっと重なっていて、
その下に玉ねぎの透明なかけら、しめじの細い茎がのぞいていた。
すくうたびに、違う表情を見せるスープ。
それを静かに味わっていると、自然と呼吸も落ち着いてくる。
パンは、スープの合間に少しずつかじるようにして食べた。
外はカリッと焼けていて、中はふわりとあたたかい。
何かをつけなくても、スープと一緒に口に運ぶだけで、じゅうぶん満たされる味だった。
食べ終えて、片付けを済ませたあと、
机の上に置きっぱなしにしていた便箋に目をやった。
何か書きたくて出したままになっていたもの。
その時はまだ、言葉にならなかったのかもしれない。
午後の光は、さっきより少し傾いていて、
手元の影がゆっくりと長くなっていた。
ペンを取り、紙の端に試し書きをしてから、
何かを確かめるようにゆっくりと書き始める。
何を書くか決めていたわけではない。
ただ、今のこの時間に言葉を残しておきたい、
そんな気持ちだけが少しだけはっきりしていた。
音がほとんどない部屋の中で、
便箋の上に静かに言葉が並んでいく。
あわただしかった日々では、
こういう時間を持つこと自体が難しかった。
いまの暮らしが、何か特別に変わったわけではない。
けれど、こうしてペンを持つことが自然に感じられるくらいには、
時間の流れが穏やかになっていた。
午後の光は、もうしばらくこのままでいてくれそうだった。
▼しずかな時間に馴染むもの▼

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