夜になると、急に静かになる日がある。
空気が澄んで、部屋の中にいるとその外の静けさまで伝わってくるような感じ。
そんな夜は、何をするでもなく、ただ温かいものを作って食べて眠る。
そういう日があってもいいと思っている。
食事のことを考え始めたのは、少し早めの時間だった。
外に出たわけではないけれど、窓の向こうはうっすら暗く、風の音が時おり木々を揺らしているのが見えた。
なんとなく今日は、うどんにしようと思った。
小鍋でひとり分だけつくるうどん。
野菜を少し、だしを効かせて、具はたくさん入れすぎない。
台所に立つと、流しの横に置いていた銅の卵焼き器が目に入った。
先週ふと思い立って買ったもの。
昔ながらの道具にしては手に取りやすいサイズで、思ったよりも軽く、火の通りが早い。
今日はうどんに添えて、出し巻き卵をつくってみようかと思った。
気持ちがそう動いたのは、きっとこの静かな空気のせいだ。
まずは出し巻き卵から。
小さなボウルに卵を割って、だしと少しの醤油、砂糖を加えて軽く溶く。
あまり泡立てないように箸を動かすのが、ふんわりと仕上げるためのいつものやり方。
銅の卵焼き器を火にかけ、油を薄く引いて温度を整える。
最初に流し込んだ卵液がじゅっと音を立てて、すぐに香ばしい香りが立ち上がった。
ゆっくりと手前に巻いていく。
ひと巻きごとに色づく卵の表面が、どこか懐かしい。
数回に分けて卵液を流し、じんわりと火が通っていくのを確かめながら、丁寧に仕上げていく。
最後に少し火を落として、全体に丸みをつけるように整えた。
焼き上がった出し巻き卵は、まだほんのり湯気を立てていた。
まな板に移してから少し置き、余熱で中までととのえてから、切り分ける。
断面はふんわりとほどけそうな色合いで、箸を入れるとわずかにだしが染み出す。
一切れ味見してみると、だしの香りが広がって、じんわりとやさしい味が舌に残った。
うどんと一緒に食べたら、きっとちょうどいい。
次はうどんをつくる。
冷蔵庫にあった小松菜と長ねぎ、そして油揚げを少し。
それだけでも十分。
小鍋にだしを張って、野菜を入れて火にかける。
小松菜が鮮やかな緑になって、ねぎがしんなりしてきたところで、うどんを加えた。
卵を入れるか迷ったけれど、今日はなしにした。
その代わり、出し巻き卵がある。
沸騰しないように気をつけながら、うどんをやわらかく煮ていく。
器を用意して、鍋敷きをテーブルに敷く。
できあがったうどんは、そのまま鍋ごと運ぶ。
湯気がふわりと立ちのぼり、冬の夜らしい景色が目の前にできた。
出し巻き卵は、小皿にそっと盛りつけて添える。
少しだけ大根おろしも添えた。
見た目に派手さはないけれど、これだけで食卓が満たされたような気がする。
湯気を浴びながら箸を取り、まずはうどんから。
だしの香りが湯気と一緒に立ちのぼって、ひと口目からほっとする。
油揚げは甘みを含んでいて、小松菜は歯ざわりが残るほどに。
長ねぎがほんのり甘く、だしによく合っていた。
出し巻き卵は、口に入れるとふわっとほどけて、
銅の卵焼き器で焼いたからか、中心がとてもなめらかだった。
熱々のうどんと交互に食べると、温度の違いもまた楽しい。
少しだけ冷ました出し巻きのやさしい味が、だしの効いたうどんを引き立ててくれる。
ゆっくりと食べ進めているうちに、外の風が強くなったようで、
窓のガラスがかすかに揺れた。
でもその音さえも、部屋の中では遠く感じた。
食卓にあるのは、静けさと、湯気と、満ち足りた時間だけ。
食べ終わるころには、心も体も少しゆるんでいた。
洗い物を済ませたあと、鍋敷きを指先でなぞる。
ほんの少し熱が残っていて、それがなんだか、今日の食卓の余韻のように思えた。
ただ食べて、温まって、それだけの夜。
けれど、そういう時間が、あとになって思い出される気がしている。
▼しずかな時間に馴染むもの▼

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