そっと使い続けているもの

朝、台所の戸棚を開けて、一番手前にあった鍋をそっと引き出す。
取っ手の角度、底の広がり、持ち上げたときの軽さ──手にした瞬間、それが雪平鍋だとすぐにわかる。ステンレスの地が少し曇っているのが、使い続けてきた証のように見える。

今日の朝ごはんは味噌汁を多めに作って、ごはんと卵焼き、それに納豆とぬか漬けを添える。
まずは雪平鍋に水を張り、出汁をとる。火にかけると、鍋の側面からじわじわと温度が伝わっていくのがわかる。
底が薄く、ふちも広がっているので、熱が回るのが早い。大根を切って入れると、鍋の中で音が変わる。くつくつと煮える音は、朝の静けさを壊さないくらいの、ちょうどいい控えめさ。

鍋のふちに集まる細かな泡を見て火を弱める。
豆腐を入れ、味噌をマドラーでゆっくりと溶かすと、湯気と一緒にほんのり香りが立ち上がる。その瞬間が少し好きだ。
ひとつの鍋でここまで滑らかに段取りが進むと、何も特別なことはしていないのに、暮らしが整っているような気がしてくる。

注ぎ口から味噌汁を器によそう。
ほんのすこし傾けるだけで、流れが思い通りに決まる。あまりに自然すぎて、注ぐという動作がほとんど“気配”に近い。

昼は、残りごはんで焼きおにぎりを作って、即席のうどんを一杯。
麺を茹でるときも、やっぱりこの鍋になる。乾麺を折って入れ、ふつふつと揺れる湯を見ながら火加減を調整する。音も香りも目印になる。
途中で青菜を加えて、軽く火を通したらできあがり。

茹でた麺を湯切りして器に入れ、別鍋で作っておいた汁をかける。
ここで改めて、雪平鍋の軽さを感じる。片手で持ったとき、腕にかかる重さがほとんど気にならない。かといって薄すぎるわけではなく、強度もちゃんとある。
重い鍋が悪いというわけじゃないけれど、この「必要な強さだけが残っている」感じは、道具としてなかなか優れていると思う。

おにぎりをほおばりながら、汁をすする。
ちょうどよく湯がきすぎない麺と、すこしシャキッとした小松菜。体にするりと入ってきて、昼下がりの気だるさも薄れていく。

夜、冷蔵庫の隅にあった野菜を使って、軽い鍋ものにすることにした。
キャベツと油揚げ、それに少しだけ豚肉を入れて、シンプルなだしで煮る。
煮るといっても、沸いてから弱火にして少し火を通す程度。
湯気がふんわりと鍋のふちから立ち上がる様子を見ていると、時間の流れがゆっくりになる。

器によそうときの音も、またいい。
金属の鍋に木のれんげが当たる音が、どこか懐かしい感じがする。
この鍋のまま食卓に置いてもよかったけれど、今日は器に移して、ひと口ずつ味わう。
野菜がしっかり煮えていて、湯気と一緒にだしの香りが鼻に届く。
たくさん食べなくても、体がじんわり温まっていくのがわかる。

食後、鍋を洗って乾かす。
雪平鍋は、汚れがつきにくい。油をたくさん使ったわけでもないから、湯とたわしだけで十分きれいになる。
ふちのあたりの水をふきんでぬぐって、鍋底を少しだけ持ち上げて乾かすようにして置いておく。

何度も繰り返すうちに、動きが自然になっていった。
雪平鍋を使うとき、気負いがない。
急いでいても、ゆっくりしていても、気づけばこの鍋を手に取っている。
台所に立つ時間が穏やかであればいいと思っているから、自然とこういう道具に手が伸びるのかもしれない。

もちろん、他の鍋も使っている。
大きな煮込み鍋や、土鍋や、フライパンや、ホーローの片手鍋。だけど、湯を沸かす・味噌汁をつくる・何かを少し茹でる、そんな日常の場面では、やっぱり雪平鍋がよく合う。

取っ手が焦げないのもありがたい。
木製ではないシンプルなハンドルだから、少し火が上がっても焦ることがない。
長く使っているうちに熱の伝わり方もわかってきて、五徳のどこに置けばよく沸くかも、なんとなく体が覚えている。

棚に戻すとき、ふちのあたりを指で軽く押さえて、乾き残しがないかを確かめる。
触れた金属がまだ少しあたたかいと、なんとなくうれしくなる。
それはたぶん、「今日もきちんと使ったな」と感じられるからかもしれない。

音を立てず、ゆっくりと棚に戻す。
あすもまた、似たような場面でこの鍋を使うだろう。
それだけのことだけれど、そういう道具があるのは、けっこうありがたいと思う。

▼しずかな時間に馴染むもの▼

台所で何気なく手に取ってしまう、そんな存在の雪平鍋。
湯を沸かすにも、味噌汁をつくるにも、ちょうどいい軽さと扱いやすさがあります。

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