一日の中で、いちばん空気がやわらかくなるのは夕方かもしれない。
西日が部屋の隅に差し込みはじめると、いつのまにか心がゆっくりとほどけている。
今日の終わりを意識しながらも、まだ少しだけ余白があるようなこの時間帯が、
昔からずっと好きだった。
時計を見れば、夕食には少し早い。
でも、お腹の具合と相談すると、ちょうど何かを作って食べたい気分だった。
冷蔵庫にあったのは、鶏もも肉といくつかの野菜。
それに、小さなじゃがいもが袋の中で静かに転がっていた。
切った野菜を鍋に並べ、少しだけ水を加えて火にかける。
強火ではなく、ふつふつと湯気が立ち上るか立ち上らないかの温度で、
時間をかけて火を通す。
味つけは塩だけにした。
素材の香りと味が、そのまま浮かび上がってくるような料理にしたかった。
火を見ながら、机の上に置いてあった小さな砂時計をそっと手に取る。
いつ買ったかは思い出せないけれど、
気がつくとこの場所に馴染んでいた。
ガラスの中で細かな砂が静かに落ちる様子を見ていると、
頭の中のせわしなさがひとつずつほどけていくような気がする。
音もなく、ただ粒が流れていく。
時間の区切りがやわらかくなるような感じ。
その間、鍋の中からは、ゆっくりとした香りが立ちのぼってくる。
人参の甘みと、じゃがいものふっくらとした土の香り。
鶏肉の脂が少しずつ溶けて、全体を包んでいく。
砂が落ちきるころ、蓋を少しだけずらして湯気の具合を確認する。
まだ固さが残っていそうだったので、もう一度ひっくり返して、
今度は蓋を開けたまま、弱火で少しだけ煮詰める。
料理が仕上がっていく音は、決して大きくはないけれど、
台所の空気を確かにあたためてくれる。
水気が少しずつ減って、じゃがいもが煮汁を吸っていく頃、
ようやく火を止めた。
器は、縁が少し立ち上がった浅めの白い皿にした。
そこにじゃがいもと鶏肉を中心に、煮汁ごと盛りつける。
深い香りが立ちのぼり、湯気が静かに揺れる。
ご飯は、土鍋で炊いておいたもの。
しゃもじを入れると、やわらかい香りがふっと立った。
食卓に並べると、部屋の空気が少し変わった気がした。
料理の香りがじんわりと広がって、
机の上だけが少しだけ外と違う時間を過ごしているようだった。
箸を手に取って、まずはじゃがいもをひと口。
表面はしっかりしているのに、中はふんわりと崩れる。
塩だけの味つけが、素材の味を引き立ててくれる。
鶏肉も、余計な調味料がないぶん、
脂の甘さや、皮の香ばしさがじんわりと伝わってくる。
少しだけご飯を添えて、噛みしめるように味わった。
口の中に残る余韻を感じながら、少しだけお茶を飲む。
砂時計は机の端に置いたままで、
さっきの動きはもう止まっていたけれど、
まだその静けさが目の端に残っている。
時間を測るためではなく、
今という時間の輪郭をやわらかくするために、そこにあるような気がする。
食事を終えて、器を下げたあと、
もう一度砂時計を逆さにした。
再び始まった砂の流れを見つめながら、
しばらく背を伸ばして、深呼吸をする。
部屋の明かりを少し落とし、ランプをひとつつけた。
暗くなりすぎないように、でも必要以上に明るくしないように。
そうしておくと、気持ちがやわらかく整っていく。
お腹が満ちて、頭の中のざわつきも消えて、
静かにただ、その場にいるということを感じていた。
今日も、特別なことはなかったけれど、
何も起こらなかったことを、こんなふうにゆっくり確かめられる夜は、
それだけで満ち足りているような気がした。
机の端にある砂時計の中で、
細かな粒がまた静かに流れ落ちていく。
それを見ているだけで、時間の歩み方がやさしくなったような気がして、
今夜もこのまま、静かに終わっていける気がした。
▼しずかな時間に馴染むもの▼

コメントを残す