今日は、朝から少しだけ体が重たかった。
疲れているわけでもなく、気分が沈んでいるわけでもない。
でも何かが過不足なく蓄積していて、どこかで整えたくなるような感覚があった。
そんな日には、外に出るよりも、部屋の中で何かをする方が合っている。
天気は曇り。窓から入る光はやわらかくて、時計の針が進んでいることを忘れてしまいそうになる。
気分を整えるには、食べるものをちゃんと作るのがいちばんだと思った。
冷蔵庫を開ける。
昨日の夜に買った野菜があるのを思い出す。
トマト、サニーレタス、きゅうり、パプリカ。
ほかにも、にんじんやブロッコリーもあった。
あたたかいものも少し用意して、
そこに新鮮なサラダを添えれば、きっと心も体も落ち着くような気がした。
流しの横に、サラダスピナーを置く。
使うたびに思うけれど、この道具は音がいい。
シャワーのように水を当てたあと、軽く振って、
サラダスピナーに入れて、くるくると回す。
シャッ、シャッという軽快な音。
内部で水分が弾けて、透明の外側に飛び散るのを見るのも、なんだか気持ちいい。
この音が聞こえてくると、料理をしている実感が湧いてくる。
葉ものは水気を切っておくと、味がしっかり絡む。
ドレッシングが薄まらず、口に入れたときの食感も変わる。
ただの工程だけど、この手間があるだけで仕上がりが違う。
ボウルに水気を切った野菜をふわりと盛る。
赤や緑やオレンジが重ならずに広がっていく様子は、見ていて飽きない。
ブロッコリーはさっと茹でて、冷水に取って、色を残す。
トマトは少し小ぶりのものを半分に。
ドレッシングは手元にあったオリーブオイルと白ワインビネガー、それに粒マスタードと塩。
ほんの少しだけ黒こしょうを挽いておいた。
それだけで、十分においしい。
サラダを中心に、他のものも準備していく。
茹でたじゃがいもを潰して、マヨネーズとあえる。
彩りに、刻んだパセリを散らすと少し華やかになる。
スープは玉ねぎとにんじんをじっくり炒めて、コンソメと水。
仕上げに豆乳を少し加えると、やさしい甘みが出て、白っぽい色合いになる。
主菜は、鶏むね肉を塩とハーブで漬けておいたもの。
表面をじっくり焼いて、少し焦げ目がついたら、火を弱めて中まで火を通す。
スライスすると、肉の断面がしっとりしていて、箸を入れるのがたのしくなる。
お昼ごはんは、少し遅れて始まった。
テーブルの上には、温かいスープ、ポテトの副菜、そしてたっぷりのサラダ。
いつもなら炭水化物も添えるけれど、今日はこれでちょうどよかった。
サラダからひとくち。
レタスのシャキッとした歯ごたえ、トマトの甘み、パプリカの香り。
水気がしっかり切れているから、口に入れたときに野菜そのものの味が感じられる。
そこにドレッシングの酸味が少しだけ広がって、すっと喉を通っていく。
ブロッコリーは芯の部分もやわらかくて、よく噛むと甘さが出てくる。
野菜のひとつひとつが、食べることそのもののよろこびを教えてくれるようだった。
次にスープ。
レンゲでひとすくいして、口元に近づける。
湯気が少しだけ立ちのぼって、鼻をくすぐる。
そのまま口に含むと、玉ねぎのやさしい甘さと豆乳のまろやかさが重なり合って、
じんわりと体に広がっていった。
主菜の鶏肉も、切り方がちょうどよかったのか、やわらかくて食べやすい。
塩加減が強すぎず、淡泊な印象を残しながらもしっかりと味がある。
口の中に残った香りを、サラダの一口が洗い流してくれる。
食事が終わったときには、体がすっかり整っていた。
疲れていたわけではなかったけれど、なにかがリセットされたような感覚。
おなかが満ちたというよりも、自分のなかにすこし余白が戻ったようだった。
料理は、手を動かすところから始まって、
最後のひとくちまでにいろいろな感覚を連れてくる。
道具ひとつで、その感覚は変わる。
サラダスピナーもそのひとつ。
水気がしっかり切れたレタスの食感。
しずくを飛ばす音、手の感触。
そんなすべてが、今日のごはんの輪郭を少しだけ濃くしてくれた。
▼ しずかな暮らしに馴染むもの
葉野菜の水気をきれいに切る、静かな下ごしらえの相棒。
手をかけた分だけ、サラダの味わいがきちんと伝わってきます。

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