朝のうちはまだ風が涼しかったけれど、昼前になると空気がすこしぬるんできた。
日差しがやわらかくて、季節が一歩ずつ夏に向かっているのがわかる。
湿気はまだ少なく、風が通るたびに葉の影が地面にゆれていた。
今日は外でごはんを食べようと思っていた。
わざわざ出かけるというほどではなく、近くの小さな公園でいい。
人が少なく、静かで、ちょうどいい木陰があるあの場所。
食事は、スープとおにぎりにした。
ごちそうでなくてもいいけれど、しっかりと満たされるものを持って行きたかった。
スープは、冷蔵庫にあった野菜を中心に。
にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、それにズッキーニを少し。
角切りにして炒め、ベーコンのうまみを重ね、少しの塩とコンソメで味を整える。
仕上げに豆乳を加えて、やわらかな白いスープに仕立てた。
火を止めたあと、少しだけ置いて落ち着かせ、スープジャーに注ぐ。
湯気の立つスープを、静かに蓋の中へ閉じ込めるこの瞬間が好きだ。
温度と香りがそのまま保存されるような感覚がある。
おにぎりは、昆布と鮭の二つ。
塩を控えめにして、炊きたてのごはんで軽く握った。
ラップで包んで、小さな布にくるむ。
コンビニで買うものとはまた違う、ちょっとした丁寧さが自分の中に染み込んでいくようだった。
スプーンと紙ナプキンも用意して、リュックに入れる。
暑すぎない初夏の空気は、外に出かけるにはちょうどいい。
ゆっくり歩いて公園へ向かう。
風が緑の匂いを運んでくる。
近くの家の庭先には、朝顔が植えられていた。
まだ咲いてはいないけれど、季節が変わっていく準備のように見えた。
公園に着くと、思っていた通り誰もいなかった。
木陰のベンチに腰をおろし、リュックから布を広げる。
ごはんを外で食べるだけなのに、なんだかそれが特別なことのように感じられる。
スープジャーの蓋を開ける。
ふわっとやさしい香りが立ち上る。
豆乳とベーコン、炒めた野菜の甘みが合わさった香り。
外の風と混ざって、いつもよりも深く感じる。
スプーンでひと口すくって、口に運ぶ。
まだしっかりと温かい。
ズッキーニがやわらかく煮えていて、じゃがいもがほろりと崩れる。
続けておにぎりを開く。
手のひらにちょうどおさまるサイズ。
塩気を控えた昆布の味が、野菜のスープとよく合う。
炊きたてのときよりも、少し落ち着いたごはんの甘みが舌に残る。
少し食べては、風に目を向ける。
葉が揺れて、鳥の声が聞こえる。
時間がゆっくり流れているような気がして、
慌ただしさや焦りのようなものが、どこかに押し流されていく。
何もせずに過ごす時間は、贅沢だと思う。
でも、外で食事をするだけでも、こんなに整うんだと改めて感じる。
それはきっと、スープが温かいままだったからでもある。
手のひらにちょうど収まるサイズのスープジャー。
保温という機能だけではなく、
そのひと手間が「大事にしている時間なんだ」と思わせてくれる。
鮭のおにぎりに手を伸ばす。
脂ののった鮭の風味と、ほんの少しの塩。
スープをひと口飲むと、口の中でやさしく混ざっていく。
すっかり食べ終えたころには、ベンチの影が少し伸びていた。
残ったスープも飲みきって、ナプキンで口元を軽く拭く。
片付けはすぐに終わる。
スープジャーの蓋を閉じると、もう中のあたたかさは感じない。
けれど、食べているあいだずっと、熱を逃さずにいてくれた。
布に包まれた空っぽのおにぎりのラップをたたんで、袋にしまう。
最後にもう一度、風を胸いっぱいに吸い込んだ。
今日はきっと何もしない日になると思っていたけれど、
こうして食べたことで、気持ちの芯が少し整った気がした。
食べるという行為の中に、静かな余白がある。
それを外で感じるには、
あたたかさをそのまま運べる器がひとつあれば、もう十分だと思った。
▼ しずかな暮らしに馴染むもの
スープジャー
やわらかな温度を持ち運ぶ、静かな外出の相棒です。
初夏の風のなかでも、食べたい気持ちをそのまま受けとめてくれます。

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