目が覚めたのは、いつもより少し早い時間だった。
窓の外は明るくなりはじめていて、カーテンの隙間からやわらかい光が差し込んでいる。
天気はよさそうだった。
音もなく、空気が静かで、今日という日がまだ始まっていないような感覚があった。
こんな日は、あわてて何かをする気分にはならない。
支度も、予定も、あとでゆっくりでいい。
せっかくだから、朝ごはんを少しだけ丁寧に作ってみようと思った。
パンはまだある。冷蔵庫にハムとチーズ。
野菜も少しだけ残っていたはずだ。
それだけあれば、ホットサンドが作れる。
ホットサンドメーカーは、棚の奥にしまってあった。
出すのはひさしぶりだったけれど、持ったときの手応えは、なんだかうれしくなる重さだった。
パンの厚さを確認して、具材を切る。
キャベツを少し細かく刻んで、フライパンで軽く炒める。
ハム、チーズ、炒めたキャベツ。
それをパンで挟むだけ。
具材を並べている間に、コンロに火をつけ、ホットサンドメーカーを温める。
鉄板がじんわりと熱を持ち、油を少しだけ塗る。
パンをそっとのせて、ふたを閉じた。
ジリジリという音がして、パンが焼かれはじめた。
香ばしい匂いが、ゆっくりと部屋の中に広がっていく。
この匂いをかぐと、子どもの頃に食べたトーストの記憶が少しだけよみがえる。
ホットサンドメーカーはシンプルな道具だけれど、
焼いているあいだの時間に、妙な安心感がある。
何も考えなくても、香りと音がすべてを教えてくれる。
焼き加減を確かめて、そっと開くと、きれいな焼き目がついていた。
両面とも、きつね色。
耳の部分は少しカリッとしていて、真ん中はふっくら。
焼きすぎず、でもしっかりと香ばしさのあるちょうどいい色だった。
キッチンの片隅で、焼きたてのホットサンドを切る。
中からチーズがとろっと流れて、パンの断面に野菜とハムが重なっている。
思わず口元がゆるむ瞬間。
コーヒーも淹れることにした。
豆を挽いて、ペーパーフィルターに注ぐ。
ふわっと立ち上る香りが、ホットサンドの匂いと混ざって心地いい。
マグカップに注がれたコーヒーは、深い色と静かな湯気をまとっていた。
お皿の上に、あつあつのホットサンド。
マグカップのコーヒー。
湯気がふんわり立ち上り、朝の光にきらめく。
かじると、外はカリッと、中はとろっとしていて、
口の中でそれぞれの味が順番に広がっていく。
パンの香ばしさ、チーズの塩気、キャベツの甘み、ハムの旨み。
熱いけれど、どこかやさしい。
ひとくち食べて、コーヒーを一口。
苦みと香りが、口の中でホットサンドと合わさって、満ち足りた味わいになる。
ひとくち、またひとくち。
しずかに食べる朝ごはんというのは、それだけで贅沢だ。
焼きたてのパンとコーヒーの香りが、部屋の空気を少し変えていた。
ホットサンドメーカーを洗って、しっかり水気を拭いて、また棚に戻す。
毎日は使わないかもしれないけれど、
「今日は使おう」と思える日があるだけで、それは十分だと思う。
パンと具を挟んで、焼くだけ。
でも、焼いている時間が、なんだか好きだ。
焼き目がつくまでの音、香り、重さ、湯気。
それらがひとつになって、朝の時間をゆっくり流してくれる。
今日はこのあと、少し部屋の掃除をして、
あとは何をしようか、まだ決めていない。
でも、朝ごはんをちゃんと食べたことで、
少しだけ気持ちに芯ができたような気がしている。
また気が向いたら、ホットサンドを作ればいい。
きっちり決めるのではなく、思いついたときに道具を使えること。
それが、暮らしに馴染んでいるということかもしれない。
▼ しずかな暮らしに馴染むもの
パンと具を挟んで火にかけるだけの、シンプルな道具。
焼きあがる音や香りまで楽しめる、朝のためのちいさな相棒です。

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