朝から雨だった。
窓の外はけぶるような灰色の空。
細かな雨が静かに降り続いていて、葉の先にたまった水滴が時おりぽとりと落ちる音が聞こえている。
6月のはじめは、こうして空気が湿っている日が増えていく。季節がまたひとつ進んでいくのがわかる。
気温はそこまで高くないけれど、室内の空気にはどこかぬるさが混じっていた。
こういう日は、熱いものをきちんと食べたくなる。
朝は果物とパンだけだったから、昼はちゃんとご飯を炊こうと思った。湯気が立つごはんをゆっくり食べる、そんな時間をとりたい。
土鍋を出して、米を研ぐ。
少し冷たい水でやさしくとぐと、指先がひやりとする。
何度か水を替えながら、すっと透明になっていくのを待つ。
研いだ米を土鍋に移して、しばらく吸水させておく。
そのあいだに、簡単なおかずの準備にとりかかる。
冷蔵庫には絹ごし豆腐と、小松菜、それに油揚げがあった。味噌汁を作ろう。
出汁は昨日のうちにとっておいた昆布と鰹節のものが冷蔵庫にある。小鍋に火を入れ、やわらかく沸き始めるころに豆腐と刻んだ油揚げを入れる。
最後にさっと湯がいた小松菜を加えて、味噌を溶く。木のお椀に注げば、色味もやさしく、ふんわりと湯気が立つ。
火加減を少し強めて、土鍋のふたから白い蒸気が立ち上るのを見守る。
かすかな音の変化を聞きながら、火を止め、しばらく蒸らす時間に入った。
この待っている間の静けさが好きだ。雨音と小さな台所の音だけがそこにある。
ふたを開けた瞬間、湯気がふわっと広がった。
粒がふっくらと立っていて、しゃもじを入れるとやわらかく抵抗を返してくる。
陶器のごはん茶碗を取り出す。
手に収めたときの重みと、わずかに指に感じる質感が心地よい。
こういう日のごはんには、このうつわを選びたくなる。
炊きたてのご飯を盛る。
粒のつややかさが、器の中でやわらかく映える。
箸を添えて、味噌汁とともに机に運ぶ。
今日はこれに、昨日の残りのひじき煮と、さっと焼いた鮭をつけた。
そんなに特別な献立ではないけれど、湯気がたつ食卓はそれだけで十分に満たされるものがある。
箸をとって、まずご飯をひと口。
ほろりとほどける食感。
噛むほどにやさしい甘みが広がって、雨の肌寒さがじんわりと消えていく。
陶器の茶碗の口あたりはやわらかく、手のひらに伝わる感覚も落ち着いている。
このうつわに盛るだけで、ご飯がよりしっくりと身体に入っていく気がする。
持った手のなじみや、見た目の静けさが、気持ちをゆるめてくれる。
味噌汁をすすり、またご飯を食べる。
湯気がふわりと立ちのぼるのを見ながら、ただ静かに、箸をすすめていく。
窓の外の雨はまだ細かく降り続いていた。
食べ終わったあと、茶碗をやわらかい布でふきとる。
手に触れると、使ったあとのあたたかさがまだわずかに残っていた。
そんなささやかな違いにも気づけるのは、ゆっくりご飯を食べる時間があったからかもしれない。
雨の午後に、炊きたてのご飯と、手にしっくりくる器。
それだけで、ほんの少し心がととのう。
▼しずかな時間に馴染むもの▼
毎日手に取るものだからこそ、気に入ったものを選びたい。
ごはん茶碗は、使うたびに手ざわりや重みが心地よく感じられるものがいいなと思っています。

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