週末の朝、いつもより少しゆっくりと目が覚めた。
天気は曇りがちだけれど、湿気は少なくて、窓を開けると涼しい風が静かに入ってきた。
今日は予定もない。だからこそ、何かひとつ、自分のためにごはんをつくってみようと思った。
ただの昼ごはん。だけど、少し丁寧に。
白い深皿を棚から取り出す。
真っ白で、余白が広くて、どんな料理でもやさしく受け止めてくれる器。
パスタでも、カレーでも、ワンプレートでも、盛りつけたあとがきれいに見えるのが気に入っている。
今日はこれに、チキンと野菜を焼いて、ワンプレートごはんにしよう。
冷蔵庫にあった鶏もも肉を、ハーブソルトとオリーブオイルで揉み込む。
庭の片隅に植えていたローズマリーの枝を1本、ちぎって加えた。
レモン汁もほんの少しだけ。下ごしらえをしたら、しばらく室温に置いてなじませる。
その間に、米を洗ってレモンライスを仕込む。
炊くときにレモンの皮を少し加え、オリーブオイルで香りを足すだけの簡単なもの。
ごはんが炊きあがるころには、ほどよく柑橘の香りが立ちのぼるようになる。
野菜は、ズッキーニとパプリカ、それから玉ねぎを厚めに切って、グリルパンで焼く。
油を多く使わずに、焦げ目をつけるだけ。
焼いている間、ほんのり甘い匂いが部屋に広がっていく。
フライパンを新しく熱して、下味をつけておいたチキンを皮目から焼いていく。
じゅう、と音がして、油がはねる。
火を強すぎないように調整しながら、皮がパリッとするまでじっくりと。
ローズマリーが焼ける香ばしさが、オーブン料理のような深い香りを作り出してくれる。
火を止めて少し置いたら、鶏肉を食べやすい大きさに切り分ける。
中までしっとりと火が通っていて、切り口から肉汁がにじんでいた。
ごはんも炊き上がった。
レモンの皮は取り除いて、軽く混ぜる。
炊きたての米の湯気とともに、レモンの爽やかさがふわりと立ち上る。
深皿にレモンライスをよそい、まわりにグリルした野菜を添える。
チキンは少し高く盛りつけて、全体に軽く黒胡椒を振る。
仕上げに、レモンの輪切りを一枚、端にそっと添えた。
こういうワンプレートは、どこか気持ちを整えてくれる。
料理が多くなくても、彩りがあって、器の余白と呼吸が揃っている。
忙しさの中で食事を済ませてしまう日々とは違って、今日はきちんと「食べる」ことに向き合っている気がした。
テーブルの上には水の入ったグラスと、小さな白いスープカップ。
スープは朝の残りの野菜でつくった簡単なブロス。
あまり目立たないけれど、食事の輪郭をやさしく整えてくれる存在だ。
ひと口目、レモンライスの香りが口いっぱいに広がる。
それに焼きたてのチキンのジューシーさが合わさると、少しだけ特別な味になる。
野菜の焦げ目は、香りに奥行きを与えてくれていた。
白い器の中で、食材がそれぞれの居場所を持っている。
ごはんが多すぎても、少なすぎても、こうはならなかったと思う。
器の形に合わせて、自分の盛りつけ方も自然に変わっていく。
食べながら、少しだけ思考がほどけていくようだった。
頭の中にあった小さな予定や、気になっていたことが、料理の香りとともに遠くに流れていく。
味覚に意識を預けることで、日常がすっと一歩遠ざかる。
食べ終わったあとは、器をゆっくりと洗う。
白い深皿の底に残ったわずかなソースの跡が、今日の食事の名残のように見えた。
水で流すと、すっと消える。器はまた真っ白な余白に戻る。
今日の午後は、ゆっくり過ごそうと思う。
買い物も掃除も、無理に詰め込まなくてもいい。
ひと皿のごはんをきちんとつくったという、それだけで、もう十分だった。
▼しずかな時間に馴染むもの▼
白い深皿は、料理の余白も時間の余白も引き受けてくれる器。
盛りつけたあと、ふっと息がゆるむような安心感があります。

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