梅雨の晴れ間。
薄い雲の向こうからぼんやりと光がさして、部屋の奥まで、白っぽい明るさが静かに広がっていた。
洗濯物を干すには湿度が高そうだったけれど、だからといって何か急かされることもなく、ゆっくりと朝が動き出している。
こういう朝は、手間のかからないものを、少しだけ丁寧につくって食べるのがいい。
ただ焼くだけ。でも、自分の手で火を通して、箸を動かして、食べる。
それだけで、気持ちがすこしずつ整っていくような気がする。
今日の朝ごはんは、卵焼きにすることにした。
冷蔵庫から卵を2つ取り出して、器に割り入れる。
出汁を少し加えて、菜箸でざっと混ぜる。
白身の筋が少し残っているくらいがちょうどいい。あまり混ぜすぎると、巻いたときに層の表情が消えてしまう気がする。
棚から、いつもの卵焼き用フライパンを取り出す。
特別なものじゃない。
焦げつきにくい加工がしてあって、軽くて洗いやすい。
だからこそ、朝の時間に手が伸びる。
丁寧にしすぎなくていい。背筋を伸ばすような道具じゃない。
ただ、焼きたいと思ったときに自然に使えるもの。
コンロに火をつけて、フライパンを空のまましばらく温める。
その間に、お茶を淹れる準備をする。
今日はあたたかいほうじ茶にした。急須に茶葉を入れて、お湯を注ぐと、ふわっと香ばしい匂いが立ちのぼる。
それだけで、少し呼吸が深くなる。
フライパンに油を引いて、ペーパーで全体に薄くのばす。
じゅっ、と小さな音がして、油が熱でわずかに揺れる。
そこに、卵液を一すくい流し入れる。
じゅわっと音がして、黄色い液体が角ばったフライパンのかたちに沿って広がっていく。
火を弱めて、菜箸で手前から奥へとゆっくり巻いていく。
焼けた部分と柔らかい部分が折り重なって、ふわりと形になっていくのが楽しい。
箸先の小さな失敗も、巻き直せばすぐ馴染んで、なんとなくいい形になる。
一度巻いたら、油をまた少し引いて、二度目の卵液を流す。
同じように、火を見ながら、手の動きに集中する。
キッチンは静かで、外の音もしない。
聞こえてくるのは、卵が焼ける音と、菜箸がフライパンの底に触れる、かすかなこすれ音だけ。
朝から何かを成し遂げようと思っていたわけじゃないけれど、
こうして火を使って、目の前のものを整えるというのは、どこか気持ちを支えてくれる。
最後にもう一巻きして、卵焼きは完成。
フライ返しでそっと取り出して、まな板の上へ。
すぐには切らずに、少しだけ冷ます。
そのあいだに、ごはんを茶碗によそって、味噌汁を温める。
冷蔵庫に残っていたきゅうりの浅漬けも添える。
たったこれだけで、ちゃんとした朝ごはんになる。
卵焼きを切ると、断面からふわっと湯気が立った。
出汁の香りと焼き目の香ばしさが、やさしく混ざる。
切り口の黄色はまだ柔らかく、箸を入れるとじゅわっと中身がゆれる。
ひと口食べると、やさしい味が口に広がる。
ちょっとだけ甘みを残して、でも出汁がしっかりと下支えしている。
焼きたての卵焼きは、時間の中でいちばん落ち着く食べものかもしれない。
ほうじ茶は、さっきより少し冷めていたけれど、まだ香りが強く残っていた。
湯呑みに唇をつけると、しずかに体の奥があたたまる。
窓の外は変わらず薄曇りのまま。
でも、静かな光が部屋の奥にまで届いていて、食卓の上の器や箸に淡い影を落としていた。
食べ終わったあと、フライパンを洗う。
焦げつきもなく、さっと水を流して、やわらかいスポンジで軽くこするだけで落ちる。
布巾で水気を拭いて、元の場所に戻す。
とても気軽な道具。
でも、だからこそ、毎日の中にちゃんと馴染んでくれる。
焼きたくなったときに、自然と手が伸びて、いつもと同じように使える。
そういう距離感の道具があると、生活そのものがすこしやわらかくなる。
卵を焼いて、切って、食べただけ。
でも、その手の動きと、火のぬくもりがあるだけで、朝の時間がしっかりとしたかたちになる。
曇った空の下で、湿った空気のなかで、
今日という一日が、ちゃんと始まったように思えた。
▼しずかな時間に馴染むもの▼
気軽に使える卵焼き用のフライパン。
毎朝の手の動きに、すっと馴染んでくれます。

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