朝の台所に立つとき、外の空気が少しだけ湿っていると感じた。
夜のあいだに降った雨が残っているのかもしれない。
それでも風はすっきりしていて、背筋を伸ばすと少しだけ目が冴えるようだった。
冷蔵庫を開けて、野菜室からじゃがいもと玉ねぎを取り出す。
どちらもよく使う食材だけれど、今日は味噌汁にするつもりで手に取った。
あとは油揚げを少し。
ごくありふれた組み合わせだけど、こんな日はそれくらいでちょうどいい。
小さな片手鍋に水を入れて、切った野菜を加えて火にかける。
じゃがいもがやわらかくなるのを待ちながら、出汁をひとたらし。
湯気が立ちのぼる頃には、部屋の空気がすこしだけあたたかく感じられるようになっていた。
味噌を入れるタイミングで、マドラーを引き出しから取り出す。
すっと味噌の中に差し込んで、くるりと回す。
無心でその動きを繰り返していると、静かな気分になる。
鍋の中で軽くかきまぜて、味噌がゆっくりと馴染んでいくのを待つ。
溶けきる前の味噌の輪郭が、鍋の中にふわっと広がる。
完全に溶かしきらなくてもいい。
そのくらいが、今日はいいと思えた。
味見をして、火を止める。
鍋の中の音が止まって、部屋のなかがしんとする。
食卓に椀を置き、ごはんをよそう。
白い茶碗のうえに立つ湯気が、味噌汁と重なる。
汁椀を手にとって、ひと口飲む。
じゃがいもがやわらかく、でも崩れすぎていない。
玉ねぎの甘さが出汁に溶け込んでいて、油揚げもほどよく煮えている。
朝の体にちょうどいいあたたかさが、喉の奥にすっと落ちていく。
ふだん通りのごはんでも、こうしてちゃんと食べると気持ちが整う。
いつもの漬け物を少しと、お湯で戻したひじきの煮物を添えた。
特別なものは何もないけれど、それでいいと思える朝は悪くない。
箸を持ったまま、ふっと外を見やる。
雲の切れ間から少しだけ光が差し込んで、窓辺のコップが光っている。
冷たい水を一口飲んで、箸を置いた。
味噌汁をつくるのは、ほとんど毎日のことだけど、
どの道具を使うか、どんな具材にするかで、出来上がるものが少しずつ変わる。
それがいいと思っている。
最近は味噌マドラーを使うことが多い。
でも、たまに味噌こしも使う。
どちらが便利とか、そういう話ではなくて、
今日はこっちかな、と思ったときに、自然と手が伸びる方を選ぶだけ。
どちらも台所の引き出しに入っていて、
それぞれ、いちばん落ち着く場所に収まっている。
食べ終わったあとの食器を洗って、布巾で軽く拭く。
味噌汁をつくって、ごはんをよそって、器を洗う。
ただそれだけの朝の中に、淡い満足感がある。
鍋も、箸も、道具も、使い慣れたものばかりだ。
だからこそ、少しの変化に気づくことができる。
たとえば、今日は味噌がよく馴染んでいたな、とか。
じゃがいもの火の通りがちょうどよかったな、とか。
ほんの少しだけ調子がいい。
そう感じられる朝は、それだけでじゅうぶんだと思う。
明日は、何を入れよう。
豆腐とわかめにするか、それとも、しじみにしようか。
味噌をすくう動作の中で、そんなことを考えている。
今日もまた、味噌をひとすくい。
それが、静かな始まりになる。
▼しずかな時間に馴染むもの▼
くるりと回すだけで、味噌が簡単にすくえてそのまま溶かせる道具です。
朝の支度に少し余裕をくれる、頼りになる一本です。

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