朝、いつもより少しだけ早く目が覚めた。
窓を少しだけ開けると、風がすっと入り込んできて、カーテンがわずかに揺れる。
空は白んでいて、まだ太陽は顔を出していない。けれど、その気配はもう、うっすらと空気に滲んでいた。
手洗いのついでに顔を洗って、ぬれた手を拭いたタオルを干す。ベランダの空気が少し湿っている。梅雨の終わりに差し掛かるこの季節、朝は思いのほか涼しい日が多い。
夏のようでいて、まだ本当の暑さはやってこない。そんな微妙な境目が、すこし心地いい。
キッチンで小さな鍋を火にかけながら、昨夜の洗い物を少しだけ片付ける。
ゆっくりと、何も急がず、目の前のことを片づけていくと、気持ちが自然と整っていく気がする。
今日は昼にそうめんを食べよう。冷蔵庫に茗荷と大葉が残っているはず。
あとは、とうもろこしも買ってきて、かき揚げにでもしようか。
午前中のうちに出かけたスーパーでは、店先に地元の野菜が並んでいた。
オクラ、なす、水菜、かぼちゃ、とうもろこし。
かごの中がいつのまにか緑と黄色に染まっていく。茗荷と大葉も忘れずに。
日差しは強かったけれど、帽子をかぶっていたのでなんとかしのげた。
汗をかくような暑さではなく、どこか湿気が含まれたやわらかい空気。
帰ってきたら、さっとシャワーを浴びて、涼しい服に着替える。
冷たい水で手を洗って、キッチンへ。
ガスコンロの火を点けるときの、カチッという音。
いつもと変わらない作業のはずなのに、今日はすこし丁寧に感じる。
まな板の上で、大葉を千切りにして、茗荷を刻み、白ごまを炒る。
そうめん用のつゆも、いつもより少しだけ手間をかけて、鰹節で出汁をとった。
そうして、ふと手がのびた先には――あの黒いそばちょこがある。
最初にそれを手に入れたのは、特に理由があったわけではなかった。
ただ、棚の奥でその黒い器がぽつんと置かれているのを見て、なぜか気になった。
色は墨色に近く、ざらっとした手触りがどこか土っぽくもある。
艶はあるけれど、ぴかぴかした光沢ではなく、光を含んで沈むような、控えめな輝き。
それ以来、たまにしか使っていなかったそのそばちょこは、今ではそうめんの季節になると、自然と手が伸びる器になった。
冷たいめんつゆを注ぐと、黒い器の中で液体の色がすっと引き締まる。
淡い薬味の色が際立つのもいい。白や青磁の器にはない、静けさのある佇まい。
そうめんを氷水でしめて、軽く水気を切る。
深皿にざっくりと巻いて盛りつけた後、横に黒いそばちょこを添える。
そのそばちょこは、きちんと“居る”感じがする。あまりに馴染んで、風景の中に溶け込んでしまいそうなのに、不思議と存在感を放っている。
とうもろこしのかき揚げは、薄衣で軽く揚げた。
塩をふり、器に盛る。黒い器の隣にあると、黄金色の揚げものがふっと引き立つ。
食卓全体が整いすぎず、けれど静かにまとまっている。
それが心地よい。
食後、ほうじ茶を淹れて、窓辺でひと息つく。
食器を片付けながら、黒いそばちょこを洗うと、その手触りにあらためて気づく。
指先にほんの少し引っかかりがあるような、ざらついた質感。
釉薬のむらや、底の重み、ほんのわずかな歪み。
そういった“完璧じゃない部分”が、むしろ毎日の暮らしにちょうどいい。
なぜか、黒い器は白い器よりも気を遣って洗ってしまう。
水滴のあとが目立つから、すぐに拭いて、棚に戻す。
使い込むほどに、器のほうもこちらの手に馴染んでくる。
たまにしか登場しない器もあるけれど、こうして季節ごとに「また出番だね」と声をかけたくなるような器があるというのは、案外、しあわせなことかもしれない。
今日もまた、手の中にあるのは、静かなかたちだった。
▼しずかな時間に馴染むもの▼
小さな器なのに、つゆにも副菜にもぴたりと馴染む使い勝手のよさがあります。
黒いそばちょこは、食卓に落ち着いた輪郭を与えてくれます。

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