なんとなく、落ち着かない夜だった。
外は静かで、部屋も整っていて、体も疲れていないのに、どこか気持ちがざわついている。特別なことがあったわけでもなく、ただ一日が終わって、時間だけが余っているような夜。
こんなときは、ご飯を炊こうと思った。
電気じゃなくて、火で。しかも、なるべく静かな火で。
前に、アルコールストーブを初めて使った夜があった。
そのときは、火を見ながらゆっくりと食事をして、思っていた以上に心が落ち着いた。火の音がしないこと、光が柔らかいこと、なにより自分の時間をじっくり味わえることが、思いのほか気に入ってしまった。
それで、今夜もまた使うことにした。
今日は、ご飯を炊くために。
取り出したのは、小さな土鍋と、アルコールストーブ。
道具としてはどちらも静かで、目立たない存在だけれど、ひとたび使い始めると、こちらの時間の流れまで変えてくれるような気がする。
米を研いで、土鍋に水を張り、しばらく置く。
そのあいだに部屋の照明を落として、小さなキャンドルライトをひとつだけ灯した。
文字が読めるくらいの明るさ。
ぼんやりとした光が、静かな壁にやわらかくゆれている。
本を一冊、手に取る。
文章を追いながらも、気持ちの中心にはこれから炊けるご飯のことがある。
あまり難しい話ではなく、軽やかに進む散文集のようなものを読む。
ゆっくりと、時間が静かに広がっていく感覚。
しばらくして、土鍋を五徳の上に置く。
アルコールストーブに静かに火を灯す。
ふっと立ち上がった炎は無音で、ただそこにある。
部屋の中に、すこしだけ空気の緊張感が生まれる。
また本に目を戻す。
物語のなかを行き来しながら、心のどこかではずっと土鍋のことを気にしている。
まだ音はしない。
火は、ただただ、じっと土鍋の底をあたためている。
やがて、ぷつっ、という小さな音が聞こえた。
鍋の中で、わずかに水が動く音。
それを合図に、本を閉じた。もう読む必要はなかった。
耳をすますと、湯気の抜ける音がしている。
キャンドルの光だけが部屋を照らしていて、ほかに動くものはなにもない。
いま、この部屋の中で活動しているのは、火と、米と、自分だけ。
しばらくして、火を止めた。
そのまま、蓋をしたままの土鍋を置いて、蒸らす時間。
余熱で、味が深くなっていく。
そのあいだに、食卓の準備をする。
味噌汁は今朝の残り。しらすの小鉢、漬物も冷蔵庫にあったものをそのまま出す。
食卓の光景はとても地味だけれど、不思議とさみしくはない。
むしろ、今夜はこれくらいがちょうどいい。
炊き上がったご飯の蓋を開けると、ふわっと湯気が立ちのぼる。
米粒がぴんと立っていて、やわらかく光っている。
香ばしい香りが混ざっていた。鍋の底にうっすらとおこげができている。
茶碗にご飯をよそう。まずはそのままで、ひと口。
口に入れた瞬間、もっちりとした弾力と、芯のない炊き上がりのやさしさ。
ひと粒ずつ、舌の上で転がして味わうような食感。
次に、しらすを少しだけのせて、醤油をほんの数滴。
箸で軽く広げると、温かさでしらすがやわらかくなる。
そのまま口に運ぶと、塩気と米の甘さがちょうどよく混じり合う。
味噌汁をひと口。わかめと豆腐の、静かな味。
湯気が立ちのぼり、器から顔を近づけるたびに、温度が肌に伝わる。
その感じが、とても心地よい。
漬物をひと切れ。
ぽり、と音を立てて噛んで、口のなかを一度さっぱりさせる。
まだ少しご飯が残っていたのでご飯を追加。今度は、卵を落とす。
炊きたての土鍋ご飯に、卵の黄身を落として、箸の先でそっと広げる。
白身がご飯の熱でじんわりと変化していく。
そこに少しだけ醤油を垂らして、ざっと混ぜる。
卵かけご飯。けれど、これはいつものとは違う。
熱が加わって、ところどころが半熟に固まりかけている。
そのなめらかさと、ご飯の温かさ。
ひと口ごとに、しみじみと「ああ、おいしい」と思う。
最後に、鍋の底に残ったおこげを、へらでやさしくこそいでみる。
薄くて、ぱりっとした部分と、少しだけ粘り気のある部分が混ざっている。
そこにもう一滴だけ醤油を垂らすと、香ばしさが一段深くなる。
ただの炊き込みじゃない、
ひとつひとつ火でつくっていく食事。
ご飯を炊いて、食べただけ。
それだけなのに、心が静かになっていた。
火はもう消えている。
キャンドルの灯りもそろそろ揺れが落ち着いてきた。
このまま、静かに夜を閉じるだけ。
音を聞きながら、ご飯を炊く夜。
たったそれだけのことで、満たされる日がある。
▼しずかな時間に馴染むもの▼
火の音がしないアルコールストーブと、小さな土鍋。
どちらも、ただそこにあるだけで暮らしの時間が変わる道具です。

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